昭和天皇物語(1) (ビッグ コミックス) [ 能條 純一 ] 価格:648円 |
この作品は、史実を元に構成。
ただ、一部には創作が含まれています。
大東亜戦争が終結し連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が来日。
昭和天皇との会談シーンから始まります。
煙草をすすめるマッカーサー元帥に、「あいにく酒もたばこもたしなみません」と断ると、自分がここに来た理由を伝えます。
戦争におけるすべての責任が私にある…と。
命乞いに訪ねて来たと思っていたマッカーサーは、この言葉に驚きます。
そして、自らの命の引き換えに自国民を守ろうとした昭和天皇について知りたいと思ったのでした。
教育掛・足立タカとの出会い
時は戻り、明治37年(1904年)。
東京女子高等師範学校付属幼稚園を、東宮侍従長・木戸孝正(きどたかまさ)が訪問。
その理由は、皇孫の教育掛を足立タカさんに依頼するため。
孫が通っている事からも、足立タカを良く知っている前文部大臣の菊池大麓(きくちだいろく)の推薦でした。
最初は断るものの、熱心な勧めから引き受けることになってしまいます。
そして、翌年明治38年の5月。
緊張した面持ちで御所に向かいます。
そこで待っていたのは侍女取締の安住千代(あずみちよ)。
皇子との謁見まで、自分の部屋で休憩していてくださいと言い渡されます。
部屋に一人入り重圧からため息が漏れるタカ。
窓の外に広がる森に気が付き、引き寄せられるように外に。
きれいに整えらられた小道の分かれ道のところに、隠れるように座って待ち伏せしている男の子がいました。
それが、迪宮(みちのみや、のちの昭和天皇)でした。
猫に食べられた鳩の敵討ちをするという迪宮に、タカは「敵討ちはいけません」と伝えます。
その後、改めて挨拶の場で顔を合わせる二人。
「なぜ、敵討ちはいけない?」と問いかける迪宮。
タカは優しくその理由を述べます。
日露戦争で激しい戦いが繰り広げられている中、宮中では嘉仁皇太子(後の大正天皇)の第三子・光宮(てるのみや)が生まれます。
迪宮に呼ばれて庭の小道を歩いていると、光宮に会いに来た嘉仁皇太子と会います。
皇室では、生まれた子供を里子に出すしきたりがあるため、父親である嘉仁皇太子とあまり会えない迪宮。
「お父様にお会いできてよかったですね」というタカの言葉にうなずきつつ、「お母様は来られなかったのですね」と寂しげにいう迪宮。
その言葉に、自分がいる呼ばれた理由に気が付きます。
学習院入学
明治44年(1911年)、迪宮裕仁(みちのみやひろひと)は学習院初等科に入学します。
学習院院長は、孫の迪宮のために明治天皇が直々に任命した乃木希典(のぎまれすけ)。
一般のクラスは30人編成だったのに対して、迪宮のクラスは12人の皇族・華族の子弟から構成されていました。
そして始まる授業。
「尊敬する方の名前を教えてください」という先生(正確には院長先生)からの質問に、そろって明治天皇の名前を挙げるクラスメイトたち。
ところが、迪宮だけは明治天皇ではなく源義経の名を。
「私はおじじ様のことはよくわかりません。源義経のことは、タカがよく教えてくれる」
…という理由に、乃木院長は驚きます。
そして、翌日からタカの送り迎えを禁止します。
翌日。
タカの送り迎えを禁止した理由を問う迪宮に、「相撲を取りましょう」と提案します。
そして相撲をとりながら、「乃木は悲しゅうございます」と、尊敬する人の名前になぜ明治天皇の名を呼ばないのかと、迪宮に問いかけ自分の気持ちをぶつける乃木院長。
場外に押し出され、しりもちをつく迪宮。
「強くなりなされ…陛下のように」と、自身の思いを語ります。
明治天皇崩御と乃木希典の自刀
明治45年7月30日、明治天皇が崩御。
持病の糖尿病が悪化し、尿毒症も併発していたためでした。
59歳という若さでした。
そして、9月11日。
明治天皇の大喪前々日に、正装した乃木が迪宮に会いに訪ねてきます。
江戸時代の儒学者・山鹿素行の「中朝事實」を手渡し、部屋を侍そうとした乃木に何かを感じ取る迪宮。
「陸海軍少尉に任官されたと…。陛下にお見せしたかった…。」と背中を向けたまま言う乃木の言葉に、迪宮は乃木がこれからやろうとすることを察します。
そして、「もしもどこかでおじじ様とお会いされましたら…お伝えください」と伝言を言付けます。
邸宅を後にしようとする際、タカに「迪宮様のことを宜しくお願いします」と伝える乃木。
大正元年9月13日。
明治天皇が大喪された同日の午後8時に、乃木は自刃したのでした。
迪宮の為だけの学校…東宮御学問所
大正2年。
迪宮は弟たちと離れ、東京・高輪にある御所に住まいを移していました。
また、迪宮の初等科卒業に合わせて、高輪東宮御所内に学校を作る話が進んでいました。
高輪東宮御所内に学校を建てるにあたり、東宮御学問所の総裁にと白羽の矢がたったのが海軍元師・東郷平八郎(とうごうへいはちろう)でした。
乃木閣下の遺言でもありますと説得する小笠原参謀に対して、「私は乃木にはなれぬ」と断ります。
大正3年。
タカの元に迪宮から連絡が入ります。
「何かきっと誰にも言えずお困りになっているのですわ」と急ぎ高輪東宮御所に駆け付けると、迪宮はちょうど伏見桃山御陵に参拝に出かけるところでした。
タカの姿に気が付いた迪宮は、こっそりと自分の傍に呼び寄せると、「ボタンがなかなか掛けられなくて、皆に内緒でタカに電話したんだ」と言います。
伏見桃山御陵に向かう車を見送りながらタカは、「去年の参拝は弟宮様たちとご一緒だったのに…」と、思うところがあるようにつぶやくのでした。
一方、東郷の元に、今度は宮内庁の渡辺大臣から連絡が入ります。
沼津御用邸で療養している皇太后陛下から、直々に話がしたいことがあるとの事。
東郷は、急ぎ沼津へと向かいます。
大正天皇の元に駆け付けた東郷は、節子皇后が長兄の迪宮には目もくれず、淳宮だけを猫かわいがりしていて困っていると伝えます。
迪宮が不憫でならない。
そこで、迪宮の後見人になってくれないかと、東宮御学問所総裁に命じたいと言います。
一方、東宮御学問所副総裁であり前文部大臣の浜尾新(はまおあらた)と、東宮御学問所漢字であり海軍大佐の小笠原長生(おがさわらながなり)は、杉浦重剛(すぎうらじゅうごう)を訪ねていました。
東宮御学問所で教える帝王学の講師依頼の為です。
ところが、本人は3日前から宮城(皇居)に行っているとの事で留守。
昭憲皇太后の容態が芳しくないと回復祈願に出ていたのでした。
東宮御学問所、開校
4月。
明治天皇の妃・昭憲皇太后が崩御され、5月には東宮御学問所が開校。
喪に服する期間であったことからも、開校は質素にとりおこなわれました。
開校はしたものの、今だ論理・帝王学の教育掛が決まっていない状態。
東宮御学問所幹部で「どうしたものか…」と話していると、そこに杉浦重剛が訪ねてきます。
杉浦重剛は論理・帝王学の教師を拝命。
そして1か月後、初の授業がおこなわれました。
主題は“三種の神器”。
授業では、東郷平八郎などの幹部も参加。
授業終了後、東郷は杉浦に「前もって草案を提出してもらえんか?」と提案します。
その頃、教室では腕相撲で遊ぶ学友たちの姿が。
迪宮を含め、全部で6名。
「私とも勝負してくれますか?」と言う迪宮に、「滅相もありません!殿下とは勝負などできません」と焦る学友たち。
楽しそうに腕相撲に熱中する姿を、静かに見つめるしかできない迪宮は。
「いいな…」という言葉が自然ともれます。
その頃、杉浦から受け取った草案をチェックしていた東郷は、「違う!これは違うぞ!」と興奮。
その興奮からか意識して眠れず、翌日の授業に寝坊してしまいます。
東郷が到着した頃には、すでに進講済み。
授業後、東郷は杉浦に食ってかかります。
が、杉浦は意に介せず、「高徳の君主は王道の必須」と毅然と言うのでした。
朕は国家なり
夏。
足立タカが東宮御所を訪れます。
敬礼して迎える迪宮。
歩きながらいろいろと話をする二人。
学友の話になると、迪宮は「みんなを見ているといいなぁと思ってしまう」とこぼします。
「何がですか?」と問うタカに、「皆がお互いの名字を呼び捨て合って話してる…!!ぼくには名字がない」と、その胸の内をこぼします。
さらに、自分で作った木のハンコを見せます。
そこには“竹山”と彫られていました。
「みんなにもこれからそう呼んでもらう」という迪宮に、「そんなご無理言ったら、ご学友の皆さんお困りなさいます」とタカは静かに優しく言うのでした。
9月。
“教育勅語”についての授業で、迪宮は杉浦が遠慮して嘘をついたことを見抜きます。
一人静かに庭の川べりで、自分が作った木のハンコを見つめる迪宮。
「タカ…ぼくは“竹山”なんかじゃないだね」と、持っていたハンコを水の中に投げ入れてしまいます。
流れていく様子をみながら、迪宮は「朕は、国家なり…」とつぶやくのでした。
タカの涙
木戸に呼ばれたタカは、皇子たちの御用掛の打ち切りを伝えます。
もう少しお側でお仕えしたいというタカに、縁談の話まで…。
「やめてください!ききませーーーん!」と、断固拒否するタカ。
一方、東宮御学問所の歴史の授業では、白鳥庫吉が「神代の物語は神話でございます。決して歴史ではありません」と言った事から、また東郷との間に口論がおこっていました。
国史の教科書には天皇陛下のご先祖は天照大神と記してあると言う東郷に白鳥は、「私は嘘は申し上げられません」と苦しそうに述べます。
忘れた帽子を取りに戻った杉浦と一緒に人力車で帰る白鳥。
東郷とのやり取りを知っていた杉浦は、「お好きなように進講なされ」と白鳥に言います。
「殿下は実に聡明な方。何もかもお見通しだ。良し悪しを決めるのは殿下ご自身…」と、杉浦自身が授業で感じた事を伝えるのでした。
高輪御所の御座所自習室では、明日、自宅に1週間ぶりに帰宅できることで学友たちが楽しそうに盛り上がっていました。
それは迪宮も同じ。
タカが来るからでした。
ところが、玄関のところで待つ迪宮に、タカが高熱で来れなくなったとの連絡が入ります。
それを聞いた迪宮は、急ぎタカのところに自ら向かうのでした。
迪宮の来訪に驚く赤坂御所内の者達。
驚くタカに「起きなくていいよ!!そのままで」と駆け寄る迪宮。
迪宮の心配する声に、タカは涙をこぼします。
部屋を出て赤坂御所を後にする際、駆け付けた木戸に向かって「何か申し述べることはないのか?」と厳しい口調で問う迪宮。
木戸は何も言う事ができないのでした。
杉浦からの助言もあって、白鳥は「神代史は神話であり、歴史ではありません」と次の授業でもきっぱり。
その言葉と揺るぎない姿勢から、東郷はそれを受け入れざるを得ないとして席を立って部屋を出ていきます。
「わしが目を瞑る事で、わしが口を挟まぬことで、殿下は君子として立派にお育ちになるというのか…」と、明治がどんどん遠いていく寂しさを感じるのでした。